ランクルの小部屋

ランクルが来る前、しばらく乗っていた愛しのVWシロッコ。
16万キロ走った後、瀕死の状態になって、
山の家の倉庫で眠っていた。
これは、復活を祈って出してみた日。
けっきょく復活ならず、 ・・・。
しかし、辛苦を共にした日々がなつかしい。
おかげでクルマのメカに少しはくわしくなった。

後ろに見えるのは、その頃、けっこう走ってくれていた
ブルーバード4WDターボ。


そしてランクルが来た。

2000年12月24日だったと思う。
一目惚れで、寝てもさめても忘れられず、
ついに自分のものにしたランクルが来た。

FJ56Vの'78年型。
某大学の農学部が1994年まで使用し、
その後、民間に払い下げられたという
経歴の持ち主だ。

リッター3キロだあ?!

実は、これは覚悟の上だった。
大きな荷物が載せられ(音楽機材一式、または木材など)
しかも、ガソリン車にこだわるということになれば、
こういう結果は見えている 。
案の定、乗ってみたらリッター3キロ行かなかった。

改造をお願いする頼りになる工場は探し出していた。

 

へ〜んしん!

改造前の写真がみつからないので、
いきなり工場の写真。

キャブレター(機械式)を
EFI(電子制御)にした。

これで、リッター8キロ弱になった。

こんなモノも使って
ハイテクカーに
変身〜!

活躍。絶好調。
これは2003年夏の写真。

うしろの森に呑まれている家は
4年間暮らした過去の我が家 。
自家製キャリア。
木材仕入れや家具納品時のために
キャリアが欲しくて探したが、
似合う(気に入る)のがなくて
自分で作ってしまった。
アチャ〜! ついに入院。

サビが!!!!。
これは
右フェンダー。
右の写真は
ボンネット。

修理に出したい。
しか〜し、
サブの車も
瀕死状態。
どうなるんだ、
オレの車的情勢は!

サビは日に日に広がって行く。
深く深く侵食していく。
こんなに迷ったことはないという程
長い迷いの末、ついに
修理依頼を決定。 入院だ。

そして2004年3月8日、
しばしのお別れ。
退院まで4ヶ月はかかるとのこと。

皮肉にも、この
『ランクルの小部屋』スタートは
ランクル入院の明くる日となって
しまった。
まあ、離ればなれの間、話題にのせる
だけでも楽しめるかもしれない。

BBSにランクルの(他の車でもいい)
話題も待っています。


入院中のランクルに会いにいってきた。         2004.06.10記
ガマンできず、ついに会ってきた。
痛々しい。でもウレシイ。
工場の方に、どうぞよろしくお願いします・・・と心から・・・。
ボンネットだけで一週間かかったって ぶつけて曲がっていた部分 切断された前のパーツ
下半分作り直し リア 穴の開いた床など

いやあ、もう少し!                  2004.08.07up
日前、屋久島から帰ってすぐ会いに行った。
ボコボコになっていた下回りや、ほとんど無くなっていたフェンダー部分も
まるで新品のよう。プロの技術に脱帽です。苦労話も何時間でも聞きたい気持。

仕上げはどんな色になるか、
お楽しみに。(僕もワクワク・・・・)


ジャ〜ン!                  2005.03.13up
すっかり生まれ変わってから半年もたってしまった。
待っていた方(いる?)、どうも、どうも。

写真で分かるかな〜? ツートンカラーが。
かなりのイメージチェンジ。
後ろ姿も見て。
いかがでしょうか?

考えたら、修理に出したのは去年の3月だった。

Takehiro
Urata
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